「あやしい」存在の釣り人のために
遊魚法規の制定を期待しよう
                            來田 仁成
釣りをめぐる法制度の洗い直しの時期がやってきた気がしています。釣り人がわずかに存在を認められるようになってから35年余り、公式に意見を聞いてもらえる機会が与えられてから10年ほど。ようやくここにきて、釣り人が参画する遊漁制度の改革が、公式的に論じられる「遊漁等の施策に関する研究会」がはじまろうとしています。
もともと、釣り人というのは、他人からあれこれ指図されることがなにより嫌いな人種だと思っています。だれかに縛られることが嫌いだから、社会から遊離した世界に一人でこもることになります。でも、じっとしていることには耐えられないから、なにか夢中になって集中することを求め、それがたまたま釣りだったというわけです。
そんなふうにして、釣りは人々に継承され、長い世代を生き延びてきました。ウオルトンのイギリス騒乱時代もそうだったし、生類憐れみの令の時代でも、もしかしたら釣りをすることで命がなくなることを覚悟しなければならない状態の中を、たぶん、釣り人得意の現実逃避とやらで“たかをくくって”かもしれないけれど、ともかくも“惰民”たちは潜り抜けてきたのです。
しかし、せちがらくなったいまの社会は “study to be quiet” と、埒の外で沈黙を守って孤高を保ちたがる種族を、そのまま許すはずがなくなってきていますし、わたしたち釣り人のほうでも、これまで、法の中で認められていなかった“釣りというあそび”を大切に思う人々が、とかく物言いいたがらぬを幸いに、機会あるごとに、追い散らそうと試みてくる世情に向かって、人々の本来の生きる権利と照らし合わせ、理不尽な部分があればそれを、理不尽ですよと訴えかけざるを得なくなってきているのです。
平成1610月に水産庁にはじめて設けられた「釣り人専門官」の桜井政和さんが釣りインストラクターの集会で講演していただいた中で、印象的な言葉を聞くことができました。
釣り人の持つ「あやしさ」が社会の人々に不審感をもたせているのではないか、というのです。
 「三つのあやしさ」の内容もあげておられました。
その1 「どこにでもいる」は、どんな山奥でも、人気の無い浜辺でも、どこにでも釣り人の姿をみかけないことは珍しいでしょう。釣り人なら、だれでも密かなポイントが大好きであるはずです。
その2 「いつでもいる」も、たしかにその通りです。まだ闇の中に閉ざされた払暁前でも、雨の中でも、熱暑の中でも、夕方はもちろん深夜でも、どうかすると台風が近づいてこようとしている時であろうとも、世間の人々の“いわゆる常識”にはない時間帯に、別のものさしで出没するのが習性です。
その3 「なにをしているのかわからない」についても理解できます。じっと竿の先をみつめている人もいれば、ひっきりなしにリールを巻き続けている姿もあります。バケツに両手を突っ込んで、ダンゴ練りに集中している人もいるはずです。なにしろ、魚を釣り上げるのは瞬間だけだから、他のときは釣りをしているらしいとは思っても、確たるところはわからないわけです。
ご本人が釣り人であるだけに言いえて妙と感心しました。
聴衆もすべて釣り人です。一瞬しんとなって、すぐに苦笑、爆笑のどよめきが拡がりました。それぞれに思い当たるところが多かったのでしょう。
そんなあやしい人たちが、断りも無く車を道端に止めていたり、立ち去ったあとにゴミが残されていたりしたら、口やかましく苦情を言い立てたくなるのも、もっともな気もします。
しかし、普段は比較的寡黙な釣り人たちですが、正面から非難されたときには、突然ひらきなおって「釣りはわれわれの魂の救済の手段である」などとわけのわからないことを叫ぶものだから、かえって「あやしさ」が募るばかりというような日々が積み重ねられてきていました。
釣り人は、本来権利など主張しない種族であるはずでした。片隅で、物言わぬ自然と魚を相手に、ひっそりと楽しませてもらう、そして釣り人以外の人に釣りの話をするときには、多少の気恥ずかしさと、後ろめたさを心の内に秘めながら、語るのが普通の姿だったはずです。
釣り師(師という言葉にはいささかの傲慢さが含まれていると全釣り協創設者たちの発案でいまは“釣り人”と自らを称するようになっていますが)ふぜいが、お上や、世間様に向かってものをいうのは、ほんとは好ましいことではないのだといまでも思っているのですけれど、あえて言わなければ、他の権利主張の人たちによって、どこまでも片隅に追いやられそうだからというのが、全釣り協発足の所以でもあるわけです。
そうした先輩諸氏の志のおかげで、少しずつ釣り人が公式の席で発言できる機会が増えてきました。漁業の不振ともあいまって平成13年の水産基本法においては、「遊漁」の位置づけというか、取り組みは、かなり前に進みました。ただし、まだ、漁業の一部分としての扱いという部分は、あまりかわっているとはいえません。
そして、ほとんどの地方や、現場では、まだまだ、そんな遊漁者と本気で話し合う考え方には、立ち至っておらず、改革は遅々として進まないどころか、あらたな取締りや制限が増えるばかりです。
かくて、国民すべてのものであるはずの都市の海岸部が、頼みもしないのに、いつの間にか、埋め立てられて、港になって、管理当局から、いきなり立ち入りが禁じられたり、あるいは、立ち入り禁止が法であるから、その法を守らないのは、マナーが悪いことだときめつけられ、逮捕されたりという事態が生じたりすることになります。
国民というものの存在と、管理する側との意識のずれとしかいいようがない、事態は、日を追うごとに固定化しつつあるような気もします。
人が嫌がることはしない、邪魔にならないところでひっそりと、というのが釣り人のもとからのあるべき姿ですから、マナーを守らないといわれれば、忸怩たる思いにとらわれます。しかしよく考えてみれば、市民すべての場所であるはずの港が、いつから「管理者」の「所有にかかるもの」になったのでしょうか。
管理者にそこのところを尋ねると、判で押したように、こんな答えが返ってきます。
曰く 「港湾施設は、本来、釣りのために作られたものでない、したがって、これまである程度黙認していたけれど、国際法に批准したいま、諸外国から入港する船舶や、乗員の安全を守るため、黙認できなくなりました」
だれが、黙認することを求めたのでしょうか、正面から、開放を求めた数少ないケースがあっても、黙認するほうでも、釣りを楽しみたいほうでも「黙認」の交渉などあり得ないし、「黙認」というのなら、むしろ、港として、産業優先に使用する設備を作ることや、大規模な開発工事など、「お上」のしてきたことを、黙認してきたのは、わたしたち国民の側ではなかったか、と思うのです。
あらためて、遊魚(遊漁ではなく)に対する制度の改革を論じるならば、まず基本においてほしいのは、国民のすべてが、公有水面において、無主物を釣ることは、人が呼吸をし、道を歩くことと同様、人類の歴史はじまって以来の「自由な権利(この言葉を使うのは決して本意ではありませんが)」にもとづいていることであるのを、忘れないでいただきたいものです。
ならば、これからはじまる水産経済学会での「遊漁等の施策に関する研究会」の議論の行き着くところには、おのずから「釣り人の参画する遊魚法の制定」という最終目標が浮かび上がってくるはずです。
釣り人が参画することで、おのずから「ある程度釣りの自由」が制限をうけるには違いありません。釣り人があまりにも野放図で無神経でありすぎたのも事実ですから。
しかし、釣り人たるもの、だれよりもまた、自然環境の恵みを享受してきました。
そろそろ、自発的なルール作りに、積極的に着手すべき時に立ち至っていると、わたしは切実に感じているのです。 



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