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「開高さんはどう言うやろか」
來田 仁成


生物多様性条約(つまり在来種の保存、保護のための国際条約)以後、外来魚問題が大きく取り上げられ、悪魚ブラックバスという印象が世間に広まった。
しかし、それも一部を除いては、一過性のものであったらしく、世間では外来魚問題よりも、在来魚が住めなくなった環境の方を大きく見るようになってきたという雰囲気だ。
しかし、生体再訪流(キャッチ&リリース)を禁じることが、外来魚の生息数を減少させるための無二の方法だと考えている人たちも、行政や漁業関係者の中にはかなり多いようで、“リリ禁”がそれぞれの県で各個撃破の形で進められている。
釣り人の考え方としては、新たに生息地が拡大することは避けなければならないし、もちろん密放流などというのは論外だ。未だに密放流が行われているというリリ禁賛成者側からの意見があるが、とてものことに「まともな釣り人」がやっているとは信じられないでいる。
 反対派の意見、つまり外来魚がいてはならないとする考え方については、ある程度理解できないわけではない。しかし、現に生きて泳いでいる魚たちを見るにつけ、これを全て殺してしまえと言う気には、とてものことになれそうもない。
具体的に実現可能な方法として、在来魚が保護されねばならない領域と、すでに手のつけようもない領域を分けて、整理整頓しながら一定の規律の中で、「やすらいだこころ」で釣りを楽しむことさえできるなら積極的に協力したいと申し出ているのが、釣り人たちのスタンスだ。
さて、われらの釣聖のひとり、亡くなった開高健さんの新しい文庫本「風に訊け・ザ・ラスト」(集英社文庫)を読んでいて気が付いた。
タイトルは「外来魚是非」。原文のまま引用してみよう。
外来魚が入ってくると、一時期、その魚がどんどん増えていって、在来の魚が滅びるんじゃないかと思われることがある。しかし、ある時点から今度は後退が始まり、そして外来魚も在来魚もなんとか平和共存していけるようなぐあいに、自然というものは調節される。よほど特異な条件がないかぎり、だいたいこういう原則がある。

アメリカでの研究によれば、ブラックバスが増えすぎると、ブラックバス自体が抑制物質というのを分泌して、産卵を自動的にとめる。それから、ブラックバスが少なくなってくると、これが解除されて産卵が始まる。こういう自動調節機能があるということがわかってきているんだね。

したがって、日本でブラックバスはどんどん伸びていくかもしれないけど、やがてはとまり、そして後退が始まり、しかし絶滅することはなく、フナやなんかと共存していけるようになるであろう。

一例をとるなら、ライギョを考えてみればいい。ライギョも大陸から入ってきた肉食魚だけれども、一時期、はびこりにはびこったものの、現在では日本の魚と共存して暮らしているんだ。

恐れることはない。ブラックバスを恐れるのは「黒船来たる」といって、騒いだようなもんだ。大人げない振舞いである。苦々しいこっちゃ。
いまのバス少年たちがまだ生まれる前、生物多様性以前に書かれた文章だけれど、奥只見銀山湖のイワナを保存することに熱心だった開高さん。C&R教の元祖のような人だが、釣り人としてのこころはいまもかわりはないだろうと思われる。

さて、マスメディアのブラックバスたたきは、やや一段落したかに思われる、多分その真相が読めるようになってきたのだろう。
その一方で、バスしか棲めなくなった、あるいはバスすら棲めなくなった、そしてコイヘルペスの発生源であり、釣り人が関与したはずのない様々な外来魚がはびこる霞ヶ浦の姿に、開高さんは、どんな感想をもらされることであろうか。きっと「苦々しいこっちゃ」ではすまされないだろうと思うのだが。

                            

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