スポーツの多様性の中での釣り
來田 仁成
=釣りがよって立つべき位置を確認する試みとして=
釣りは「あそび」でしょうか「スポーツ」でしょうか「リクレーションでしょうかそれとも「漁の一つとしての遊漁」でしょうか?
昨年8月にスポーツ基本法が施行されました。
この新しいスポーツ基本法では、スポーツというものが、従来の競技スポーツ以外にも多様性を持つスポーツのジャンルが認められ、スポーツが幸福で豊かな生活を営むための行為であると格調高い調子で示されています。
このことから釣りも明らかにスポーツのひとつであり、釣りを楽しむことは幸福追求権の一部だと堂々と主張できる立場であることが明確に示されたのではないかと思っています。端的に言えば釣りが拠って立つ位置づけが、かなり確かなものになったように思われます。

これまで「釣り」の法的な位置づけとしては、水産業の中の自由漁業としての一部である「遊漁者(数年前までは非漁民という記述でした)」というのが唯一のものであり、それは生存権の一部を踏まえたものであるから、公有水面で無主物を捕獲し、食料とする自由が認められているのだというように位置づけられてきました。今回はそれに上記のようにスポーツの多様性が認められ、釣りがスポーツのひとつにはいるということによって、幸福追求権が加えられたわけです。

古来から、釣り人の世界では "釣りというあそび"の概念のなかにリクレーションを含めたさまざまな要素を思い入れとして持っていて、競技性を持つ方向を否定する伝統がありました。たとえば釣り大会を開く場合、長寸を競うのではなく、釣り上げた人の技量を評価し幸運を祝福するのだという解釈です。
一方で、釣りに競技性が存在してはじめて近代的なスポーツに成り得るのだという考えかたを基本にしてルールを定めた競釣会を運営することで、釣りがスポーツのジャンルの中に取り入れられることができるのだと主張する釣り人の集団があります。両者の間では議論が幾度となく議論がかわされてきました。
釣り人以外の社会、特に自治体などからは「釣りは 単なる"遊び"でしかない」という扱いを受けがちであったのも事実でした。

「釣り」という言葉の定義づけに明確なものがないばかりに、あるいは故意に定義づけをしようとせず、釣り人同士の間でも、そのあたりの共通認識をあいまいにしておくことで、「つりごころ」を保全してきた反面、このために、他の規律社会からのプレッシャーに抵抗することが難しかった場合もあったし、排除されやすいい立場にあったことも多いわけです。

 水産行政の中では「釣り」とは、釣った魚を食料として食べるための行為として定義づけ、それを業とするもの(職漁者)と、業としないもの(遊漁者)に区分してきました。
そして遊漁者、漁業者ともに公有水面で無主物を捕獲する自由を「生存権の一部」として認められていました。このことは、海や河川、琵琶湖をはじめとする湖沼などの公有水面で釣りを禁じることができないという論拠にもなっていたわけです。
 生存権を理由にする以上、キャッチ&リリースを正面切って強く主張することは、逆に生存権の一部として釣りをすることとの矛盾を示す場合もあったわけで、これが外来生物問題の時に攻撃の材料にされたことを思い出して下さい。
今回「スポーツ振興法・昭和36年制定」が50年ぶりに全面的に改められて「スポーツ基本法」というかたちになって、スポーツの定義が拡大施行されたことで、スポーツによる「幸福追求権」と「スポーツの多様性」とが明確になったのを機会として、そうした釣りをめぐる議論にもピリオドを打ってもよい時期にきたのではなかというのが、この稿の提案です。
スポーツ基本法の「あらまし」から少し引用しておきます。
=スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み、国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において、自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて行うことができるようにすることを旨として、推進されなければならないこと等、スポーツに関し、基本理念を定めることとした=となっています。
すなわち、広義のスポーツという意識が確立されたことによって、「釣り」は本来そうであったはずのスポーツのジャンルの一つとして認識され、この
結果として、生存権を唯一の法的根拠にして解釈するのではなく、幸福追求権としての自由という面についても明確に主張することができる存在になったということなのです。
そんなことを改めて言う必要はない、当然のことで常識ではないかという意見もあろうかと思います。それはスポーツや釣りの定義を深く考えていない漠然として持っていた感覚にすぎなかったのではないでしょうか。
しかし、釣りを守り、釣りを後世に引き継ぐという立場に立って、行政と話し合うとき、法の上で根拠があるかないかでは大きな違いが生じてきます、だからこそ、こうしてまとめた形の合意形成が必要不可欠なのです。文部科学省がスポーツの定義を改めたことの意義は歴史に残る大きな出来事ではないかと評価します。

16世紀にイギリスの貴族や上流階級の間でスポーツ(sport)という言葉が生まれたころの語源に遡れば、原型とされるのは狩猟であり、その中には"かけひき""偶然性"が含まれていることが必須の条件であるとされます。釣りもまさにその範疇に入っているわけです。スポーツという言葉が近代になって"競技性の高さ"つまり戦闘行為の模擬的要素に的を絞って競技ルールがつくられなければならないと定義づけられた、いわゆる狭義の近代スポーツの定義づけとは少し違ったニュアンスでした。
続いて17世紀になってレクレーション(recreation )という言葉が使われるようになりました。すでに日本語としても定着しているように、休養、娯楽、精神の再生産を意味しているわけで、これは17世紀の富裕層的なゆとりを含めた感覚であって、これには語源にあるスポーツの要素も含めて、精神的な再生産、非日常性が色濃く加わっています。
1653年に初版が出たアイザック・ウォルトンの著による「釣魚大全(The
Compleat Angler or The Contemplative man's Recreation)」によれば、
釣りとは精神の歓びであり、思索する遊びであるとされており、その最終ページにバイブルから引用されている言葉、study to be quiet(静かに生きることを学べ)からは、釣りをしているとき、現実の生活を離れて様々なことを瞑想する知性的な釣り人の姿が浮かび上がり、このことでウォルトンが釣聖と位置づけられる所以であるわけです。
つまり、釣りというのは、語源の面から見たときに、スポーツでありリク
レーションでもあるというのは疑いもないことで、ことさらにこれを区別する必要はないのだという結論が見出せます。

再確認しておきます。
法の上でいえば、公有水面で無主物を捕獲し食べることの自由という生存権がなにより高位にあります。続いてスポーツ基本法によって、スポーツの多様性とそれを楽しむ幸福追求権が明確になりました。
このことによって釣りは、縦割り行政でいう農水省、厚生労働省、文部科学省、釣り場環境の管理という意味では国交省などという枠組みに縛られる必要がなくなったことになったともいえるわけです。
くどいようですが、これまでのスポーツの持つ概念としては、競技性を持たせるためのルールが必須という条件がありました。そして、釣りという限りなく自由であるべき行為を楽しむためにはルール(ただし狭義での)があってはならないという考え方も強く存在します。しかし今回の基本法に示されているスポーツの多様性という見地からすれば、競技規則というのは不可欠ではないといえるわけです。
「釣り」の場合、基本的には釣り人それぞれのこころの中にルールが存在するわけであり、やってはならないことを定めておくだけで何の支障が生じるわけでもありません。
つまり自然環境で行うことが原則である限り定義は固定的であってはならないし一方、団体として競技をする上では競技ルールが必要な場合もあるでしょう。しかし自然環境の中で同一の条件というのは存在しないし、時代の移り変わりや自然的条件の変化次第では価値観がかわってくることも予想できることであるわけです。
もう少し具体的にこれから生じる事態のサンプルをつけ足しておきます。
たとえばキャッチ&リリースです。生存権を主体に考えれば、釣ることだけを楽しみ、釣果を放すのは矛盾しています。しかしスポーツの多様性という観点からめれば、リリース(再放流)は何らの支障もない、それぞれの心の中にあるルールに従えばよいことになります。

 さて、スポーツとしての釣りの存在を確認するための歴史的事実があります。
第2回 パリ・オリンピック(1900年5月〜10月)大会は万国博の付属大会として開催され、釣り、ゴルフ、綱引き、凧揚げも行われています。
 現在も時折IOC(国際オリンピック委員会)の会合で釣りを競技種目に加える話が出ることがあるとのことです。
 (上記の中でスポーツ基本法の解釈、釣りとの関連性、語源その他の資料に関してはスポーツ史の専門家に確認ずみです)

少し長くなりますが、スポーツのあるべき姿を謳い上げた格調高い前文と総則を下記に添えておきます。スポーツという言葉を釣りに置き換えて読んでみてください。
スポーツは、世界共通の人類の文化である。
 スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利であり、全ての国民がその自発性の下に、各々の関心、適性等に応じて、安全かつ公正な環境の下で日常的にスポーツに親しみ、スポーツを楽しみ、又はスポーツを支える活動に参画することのできる機会が確保されなければならない。
 スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。
 また、スポーツは、人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し、地域の一体感や活力を醸成するものであり、人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに、スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である。
 スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。
 そして、地域におけるスポーツを推進する中から優れたスポーツ選手が育まれ、そのスポーツ選手が地域におけるスポーツの推進に寄与することは、スポーツに係る多様な主体の連携と協働による我が国のスポーツの発展を支える好循環をもたらすものである。
このような国民生活における多面にわたるスポーツの果たす役割の重要性に鑑み、スポーツ立国を実現することは、二十一世紀の我が国の発展のために不可欠な重要課題である。
 ここに、スポーツ立国の実現を目指し、国家戦略として、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
   第一章 総則 (目的)
第一条 この法律は、スポーツに関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務並びにスポーツ団体の努力等を明らかにするとともに、スポーツに関する施策の基本となる事項を定めることにより、スポーツに関する施策を総合的かつ計画的に推進し、もって国民の心身の健全な発達、明るく豊かな国民生活の形成、活力ある社会の実現及び国際社会の調和ある発展に寄与することを目的とする。
 (基本理念)
第二条 スポーツは、これを通じて幸福で豊かな生活を営むことが人々の権利であることに鑑み、国民が生涯にわたりあらゆる機会とあらゆる場所において、自主的かつ自律的にその適性及び健康状態に応じて行うことができるようにすることを旨として、推進されなければならない。
2 スポーツは、とりわけ心身の成長の過程にある青少年のスポーツが、体力を向上させ、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培う等人格の形成に大きな影響を及ぼすものであり、国民の生涯にわたる健全な心と身体を培い、豊かな人間性を育む基礎となるものであるとの認識の下に、学校、スポーツ団体(スポーツの振興のための事業を行うことを主たる目的とする団体をいう。以下同じ。)、家庭及び地域における活動の相互の連携を図りながら推進されなければならない。
3 スポーツは、人々がその居住する地域において、主体的に協働することにより身近に親しむことができるようにするとともに、これを通じて、当該地域における全ての世代の人々の交流が促進され、かつ、地域間の交流の基盤が形成されるものとなるよう推進されなければならない。
4 スポーツは、スポーツを行う者の心身の健康の保持増進及び安全の確保が図られるよう推進されなければならない。
5 スポーツは、障害者が自主的かつ積極的にスポーツを行うことができるよう、障害の種類及び程度に応じ必要な配慮をしつつ推進されなければならない。
6 スポーツは、我が国のスポーツ選手(プロスポーツの選手を含む。以下同じ。)が国際競技大会(オリンピック競技大会、パラリンピック競技大会その他の国際的な規模のスポーツの競技会をいう。以下同じ。)又は全国的な規模のスポーツの競技会において優秀な成績を収めることができるよう、スポーツに関する競技水準(以下「競技水準」という。)の向上に資する諸施策相互の有機的な連携を図りつつ、効果的に推進されなければならない。
7 スポーツは、スポーツに係る国際的な交流及び貢献を推進することにより、国際相互理解の増進及び国際平和に寄与するものとなるよう推進されなければならない。
8 スポーツは、スポーツを行う者に対し、不当に差別的取扱いをせず、また、スポーツに関するあらゆる活動を公正かつ適切に実施することを旨として、ドーピングの防止の重要性に対する国民の認識を深めるなど、スポーツに対する国民の幅広い理解及び支援が得られるよう推進されなければならない。
 (国の責務)
第三条 国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、スポーツに関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。
(参考) スポーツ基本法  昭和36年に制定されたスポーツ振興法を半世紀ぶ りにすべて改正し、平成23年8月24日から施行。